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22-May-08, Music of Steve Reich - Concert #2

席はステージから数えて二列目のほぼ中央。
二日間のプログラムを通じて、この席に座るメリットをもっとも強く感じられたのがConcert #2の冒頭を飾ったDrumming - Part 1を目の前にした瞬間だった。

これまで自分が聴いてきた演奏はなんだったのか…。録音された演奏から想像していたものとはまったくちがう音量と音圧でステージに向かって前方やや上の方向から降り注ぐ音のつぶて。録音されたものから受けるこの曲の印象は、どちらかというと軽い、クリスピーな触感だったのだが、生演奏に触れたときにその印象は軽々と覆された。激しくたたきつけられるスティック、それを受け止める打面、打面からホール天井まで駆け上がった音はそのままズーンとフロアまで落ちてくる。演奏者同士のスティックが時折交差し合うことによって生まれる「バチッ!」「カシッ!」という不意のノイズが作品に彩りを添えていく。四人の分厚いアンサンブルに、ただただ打ちのめされた。

がらっと雰囲気を変えてProverb。
演奏することが非常に難しい曲なのだろう。そう思わせる演奏だった。正直聴いている方がハラハラさせられる場面が何度かあった。特に二台のヴィヴラフォンは、マレットを複数同時に扱い、デリケートな和音を小刻みに次から次へと紡ぎ続けなければいけない。聴いている方としてはどうしてもそちらに目と耳がいってしまい、800年の時を経て現代に降り立つペロタンの幽玄の世界に浸るまでは今一歩たどり着けなかった、というのが正直な感想だ。

休憩が明ける。

ステージには準備を終えた楽器がケーブル、モニタースピーカ、マイクとともに整然と並んでいる。
「増幅されたアンサンブル」という、コンサートホールにとってみればある種の異形/異様とも言える一群が出番を待っている。

これが最後の演目。

流れ去ってしまう時間を無理矢理に押し留めようとする私の手をすり抜けるかのように、再びマレットが振り下ろされる。

二日目の「Music for 18 Musicians」は、アンサンブル全体が活気に満ち、セクション同士の、そして楽器同士のコントラストも鮮やかで、個人的には一日目よりも好みの演奏になった。二日間を通じて改めて感じたのは、Section 6冒頭のマラカス連打は、思っていたよりも中低音域が強く、これまで聴いてきたようなカシャカシャよりはザシャザシャという音に近かった気がする。両手にマラカスを携え、肩幅よりも広く足を広げて打ち鳴らす姿は、雄々しく力強い。その一方で全編を通じてピアノの力強さを改めて感じさせる演奏でもあた。パーカッションとしてのピアノの機能と、ベースライン牽引者としてのピアノの機能が存分に発揮されている。特に向かって左から二人目、メガネの小柄な男性のピアノ奏者はSection 5におけるピアノ同士が絡み合って進む部分では鍵盤が壊れんばかりに強打していたのが印象的だった。

前から二列目に座ったことで発生したデメリットはピアノを演奏するライヒの表情が、自分の席からはほとんど見えない、ということだった。横に大きく拡がったアンサンブル全体を見渡すためには、もう5列ほど後方に下がるべきだったということだろう。

最後のパルス・セクション、ゆったりと設計図をなぞり直した音楽家たちはひとり、またひとりと消えていく。60分間の流れにピリオドを打つかのように、ヴァイオリンのフレーズが短く刻まれて、全体が消滅した。その感覚は強烈なフラッシュの光を浴びた後に、目を閉じればオレンジや黄色、青色の残像が浮かび上がるような、身体に焼き付けられた、といった感覚に近い。

二日間にわたって様々な方向に向かって展開されたスティーヴ・ライヒの音楽。限られた時間と限られたプログラムとはいえ、代表作「18人」を中心に据えながら「ダニエル・〜」の日本初演という大きなトピックスも手伝って、非常に充実した内容だったと言えるだろう。なにしろ、長年あこがれたあの曲がライブで聴ける、というだけで心踊るような出来事だったことは間違いない。さらに、ライヒ本人がピアノを弾き、スティックを振るう、という貴重な演奏に立ち会えたことを、二ヶ月経った今も非常に光栄に思っている。