2012年03月19日のツイート
@yssogswr: @hanikamiouji 読んでいただいてありがとうございます。わたしもいまだに時々どうしようもない悔しさがこみあげてきます。釜石に明るい話題が増えてくれるといいですね。
2012-03-20 01:16:13 via Echofon to @hanikamiouji
@yssogswr: @puriketz リプライありがとうございます。そう言っていただけると、私の気持ちの中の少しこわばった部分がいくぶんやわらぐような気がします。ふるさとでああいうことがあったということを記憶にとどめつつ、今後の岩手に関する明るい話題を見つけて共有できたらと思っています。
2012-03-20 00:49:00 via Echofon to @puriketz
@yssogswr: 再会を強く願いつつも未だに叶えられない人は数多い。そうした方々に比べれば私達はよほど幸せだ。一人でも多くの方がご家族の元に戻られることを強く願う。
@yssogswr: この話になると必ず言うことだが、父の遺体が見つかって本当によかった。もう会えないかもしれないと何度も思った。私達家族四人は、2011年3月20日紀州造林で誰にも邪魔されることなく、確かに間違いなく再会できた。
@yssogswr: 周りからはすすり泣く声だけでなく、時折怒声も聞こえてくる。あの場所には家族を失った悲しみだけでなく、突如理不尽に家族を奪われたことによって生じたやり場のない怒りがあったのかもしれない。
@yssogswr: 整然と並べられた数多くの棺。一部の遺体はビニール製の遺体袋、あるいは毛布で覆われている。その中のひとつの棺の前で冷たいコンクリートの床に跪き父の顔を覗き込んだ。あの光景は今も鮮明に思い出せる。
@yssogswr: 20日早朝盛岡着。妹と合流。笛吹峠から栗林へ。避難所で母と再会。そのときはじめて19日衛星電話での会話の後に遺体が発見されたことを聞く。まるで父が私達三人の動きを見ていたかのようなタイミングだった。その後、遺体安置所として使用されていた紀州造林へ。父と対面することになる。